2007 |
03,09 |
«屯所にて»
旦那が今まで屯所を訪れた回数は一度や二度ではない。副長に会いにきたり、姐さんに殺されかけた近藤さんを届けにきたりと目的は様々だ。前者の場合は長時間滞在するが、後者の場合茶を出すと言っても大体すぐに帰ってしまう。なぜ、“大体”かと言えば副長がいるときは決まって長居するからだ。
今回旦那は近藤さんを運んできたが、副長がいたので随分長くいる。
副長は隠しているつもりらしい二人の関係から考えると、今この時間ナニをいたしているかもしれない・・・という恐れはなく、客用の部屋からぎゃあぎゃあと騒ぐ声が絶えない。そのうるささに隊士の多くは辟易しているようだ。
「おい、山崎」
「なんですか?沖田隊長」
「アイツを斬ってくらァ」
沖田隊長が刀を抜きながら向かおうとした先は、副長と旦那のいる部屋だった。
「ちょっと沖田隊長ォォ!!?」
「止めるな、山崎。あいつら静かにさせねーと俺の腹の虫が治まらねェ」
危険を察知した何人かの隊員と協力して沖田隊長の体を押さえていると、一部屋の襖が開く。
「いい加減ゴリラに首輪つけとけよ、連れてくるこっちの身にもなれってんだ」
「テメェのとこのメスゴリラも鎖で繋いでおけよ、毎回殴られる近藤さんの身にもなってみろ」
沖田隊長は俺達がいるのと反対側に進んでいく二人を見て、いきなり前に引っ張る力を緩める。後ろでばたっと音がしたので何人かの隊士は倒れてしまったようだった。
二人の言い争う声は、多分旦那が屯所の門をくぐり外に出るまで続いたと思われる。
帰ってきた副長は疲れたように局長が眠る部屋に入っていった。
実は二人が見えなくなったあと、斬りにいく理由を無くした沖田隊長は自室に戻っていったので、今この広間は平和そのものだ。
少し経って、局長のいつもの豪快な笑い声が響いた。
――今日も江戸は平和です
2007 |
02,03 |
誰も気付かない。いや気付かないほど記憶に残っていないから、風化するんだ。
猫にも忠誠心とか戻るべき場所は存在する
将軍が亡くなった。後継者はいない。天人に侵略されつつも、形だけとはいえ人間が治めていた地、日本はそのときついに、人間の手から離れていった。
驚くことではなかった、予想できたことだったからだ。将軍の身体は弱く頻繁に床に臥す、継嗣もいないということが公になると、将軍家や幕府は養子を迎える力すら天人に奪われた。大衆も文句を言わない。最早抵抗する気力がなかった。
将軍制度を廃止して、内閣制度にしようと声高に叫んだのも新政府で力を持った天人だった。誰も疑問を持たなかった。天人が権力を行使することが、当たり前になっていたからだ。
結局その制度が確立されたが要人はほぼ天人。それを見ても大衆は無関心だった。裏で行われていたことが正当化され大手を振って行えるようになった、それだけだったからだ。
力を持った天人はまず、人間の権力や立場を奪った。妥当な判断だ。独裁体制を築くには他の者の権力を奪うのは、初歩中の初歩。そうして幕府の管轄に置かれていた人間は全て解雇され、変わりに天人が雇われた。
2006 |
12,18 |
«バイバイ»
なにかに呼ばれている気がして目を開けると、ぼんやりと見える影があった。その影は、しきりに俺の名前を呼んで時には罵声を浴びせる。
早く起きやがれ、と怒鳴られたから、体は起きてねェが頭は起きてんだよ、と言うと、そう言う奴に限って八割方寝てるんだよォオ!!と叫びながら踏み潰された。
漸く、これは起きなきゃいけないなと命の危険さに気付いて、足の攻撃が止んだところでムクリと起き上がった。途端に襲ってきた頭痛に頭を抱え込むと、二日酔いかざまぁねぇなと鼻で笑われた。悔しかったから跳び蹴りくらい食らわしたかったが、足元がフラフラして覚束ない。これはまずい、してしまえばまた記憶を失いかねない、と衝動をグッと堪える。
堪えた様子がもろに分かったらしく、視界の端っこで再び口角を持ち上げるのがはっきり分かった。そんなところはアイツの悪い癖で、向こうにはその気はないにしろ、どうにもバカにされている気がしていけない、口の中で、もごもご言いながら後を付いて茶の間へ行った。
襖を越えるとそこはまるで別世界で、先までむさい空気が流れていたのにテーブルの上にあるものが存在するだけで、こんなにも雰囲気が変わるのかと驚嘆したくらいだ。それは湯気を立てて、我が物顔でテーブルのど真ん中に置かれていた。
置かれた料理はどうしたのか聞こうと思って周りを見渡すが、全く姿が見えない。おーい、と呼んでみると、その影はやっと台所から出てきた。
手にはほかほかのご飯が盛られた茶碗が乗せられている。それをテーブルの上へ置き、依頼者用のソファに座ると、そら座れ、と俺を正面のソファに促した。
大人しく座ってみれば、二日酔いで胃はムカムカしているはずなのに、それはとてもおいしそうに見えて、早速手を伸ばす。が、料理が一人分しかないことに気がついて中途半端な位置で手を止めた。どうした、と聞かれたから、お前の分がない、と言った。そうするとケタケタと笑って、オレの分はいらねぇんだよ、と言った。
全く理解できないが、躊躇していると目をギラギラさせながら刀の柄に手をかけている様子がチラリと見えて、俺はやっと手をつけた。料理は旨かった。さすが独身男は違うと褒めようと思ったが(いや、嫌味かもしれないが)屯所に下女がいないわけがないから、滑稽な文句になりそうで言うのをやめた。
あいつと言えば、刀からは手を離し、膝に頬杖を付いてこちらを見ているばかりだ。旨いか、とも問わないし、帰るとも言わない。俺が完全に食べきるまで、まるで人形のようにずっとこちらを見ていた。
しかし食べ終わると知るとなかなか動作は早いもので、食器を台所へ持って行き、音からしてどうやら流しに置いたようだった。そしてすぐに戻ってきたが、手にはパフェが握られている。あまりにも見事な出来栄えだったから、これはおめェが作ったのか、と尋ねると、余計なことは言わずに食えとテーブルに置かれたパフェを前へ押し出した。
一番下はコーンフレークで多少量を誤魔化し、その上にはチョコソースがたっぷりかかっている。チョコにバニラにストロベリーのアイスがグラスの中所狭しとひしめき合っていて、生クリームとバナナ、それに苺が乗せられ、再びチョコソースが登場している。ご丁寧にポッキーまで差されたそれはでにぃずのパフェに勝るとも劣らない、立派なものだった。
あまりの感動で食べることを忘れ、じっと見ていたら、食わねぇのか、と俺の気持ちとは正反対のトーンで言われて、はいはい食いますよとおざなりな返事をした。
予想通りパフェの味は絶品だった。俺はあっという間に食べ尽くしてしまい、最後にグラスを舐め取るという人に見せれば必ず嫌われる離れ業をやってのけると、フッと笑う音が聞こえた。グラスの奥を覗くと、またいつもの仏頂面に戻っていた。
今日はやけに甲斐甲斐しく動くようで、あいつは勝手にグラスを片付けた。また流しに置く音がしたと思うと、すぐに戻ってきた。
今度は手に何も持っておらず、ただぽつりと一言漏らす。もう寝ろよ、静かに言われて、ついさっきまで寝ていたはずで豪華な食事を摂ったばかりだって言うのに、ああもう寝なければと思った。思ったと同時に睡魔が襲ってきて、フラフラと前へ進むが歩幅が狭くて、どうしても布団へ辿り着けない。途中で膝が折れるのを感じて、俺の意識は途切れた。
ぱっと目が醒めたのは、まだ夜が明けきらないうちだった。窓から見た空は真っ暗で、ネオンはぽつぽつと点いているだけだったから、朝になりかけの夜だと思った。
ところで、乱暴に起こされ豪華な食事を摂った事は、目が醒めてみれば、それが夢だったのか、はたまた現実だったのか、てんで分からない。
---後日、新聞に真選組壊滅という記事が出た。その記事を見て、思う。あれは現実だったのだろう。
よく考えてみれば、普段の自分のマヨネーズ好きをウザいくらい押し付けてくるのに、あの日は全くかかっていなかった。吸っていない事がない煙草も、あの日はただ胸ポケットに納められているだけだった。
この世の全てから離れていくことに対しての、自分なりのけじめだったのかもしれねェなァと、ぼんやり考える。そうすると、俺と別れることは最後の最後まで捨て切れなかったんだという事に気付いて笑った。
もう会えないのは悲しかったが、不思議と零れてくるのは笑顔だけだった。
初銀土。